COLUMN

食のコラム&レシピ

【とっておきのヨーロッパだより】温かみあふれるカンペール陶器の魅力

12<海外>とっておきのヨーロッパだより

2014.01.29

<【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム?>

「カンペール焼き」と呼ばれる陶器をご存知ですか? やや厚手で丸みのあるフォルム、可愛らしくカラフルな絵付けが特徴で、何とも温もりのある味わいを持っています。いつか現地で製作現場を見てみたいと思っていましたが、ついに念願かなって訪れることができました。
愛用のカンペール焼きの皿。小菓子を盛り付けたところ
愛用のカンペール焼きの皿。小菓子を盛り付けたところ

カンペール Quimperは、フランスの北西部ブルターニュ地域圏フィニステール県に位置し、県内で2番目に大きな都市です。フランス校のあるリヨンからは900kmと大分遠方に位置し、車では9時間ほどもかかります。町の名前はブルトン語(注1)の「ケンペル kemper (合流地点)」に由来すると言われています。
.町の入り口にある看板にはフランス語とブルトン語が併記されています
町の入り口にある看板にはフランス語とブルトン語が併記されています

中心部にはカンペール焼きの店が立ち並び、陶器の町として名高いことがうかがえます。
町の土産物屋。壁にたくさんのカンペール焼きの皿が飾られています 列車の形をした観光バスも観光御覧のデザイン
(左)町の土産物屋。壁にたくさんのカンペール焼きの皿が飾られています
(右)列車の形をした観光バスも御覧のデザイン


この町で陶器作りが発展した歴史を調べてみると、15世紀頃にさかのぼる事が分かりました。当初カンペールで作られていた焼き物は素朴な素焼きのものだったそうですが、ルイ14世の治世、「他国に輸出できるような質の高い陶器を作るように」という王命を受け、1690年に王立の陶器工房(後のアッシュベーHB社)が設立されました。(王命の背景にはフランス王室の財政難があり、金や銀の食器の多くを換金対象として処分する必要が生じていたため、それらの代わりに王室で使用できるような質の高い陶製の食器が必要、という事情もあったと言われています。)
素朴な焼き物しかなかったにも拘らずカンペールが王立工房設立の地として抜擢された理由には、ちょうどその頃この地で大量の粘土質の土が発見されたこと、また当時のカンペールは陶器作りの地としてはさほど有名ではなかったために生産コストを抑えられる、といった見通しなどがあったようです。
その後、この会社を総窯元として数々の職人達が働いたり、または独立して自らの工房を開いたりし、カンペールは陶器の町として栄えていきました。

このカンペール焼きの質の向上に影響を及ぼしたと言われているのが、ジャン=バティスト・ブスケとその息子ピエール・ブスケという、2人の陶工の存在です。
フランス南部のマルセイユで陶工として既に名を馳せていたジャン=バティスト・ブスケは、カンペール近郊の修道院からの招きで1699年カンペールに移り住み、修道院付の陶窯長としての職を得ました。彼の仕事の評判は高く、息子ピエールと共に1708年、カンペールに自身の工房を開きます。今に続くカンペール焼きの老舗『アンリオ Heniriot社』の前身ともなったこの工房は、3つの窯を擁し、当時としては大変大きなものでした。ピエールは当時貴族の間で持てはやされていた陶製の食器作りに優れており、また後述する「カンペール・タッチ」の原型でもある、陶器に細密に描かれる文様などへの評判もあいまって工房の名声は高まり、生産量を増やしていったそうです。
カンペール焼きは、こうして徐々に洗練されたファイアンスリー faïencerie(陶器)へと変わっていきました。

カンペール焼きの技術と名声は18世紀に頂点を極めますが、18世紀末になり安価な工場製品が台頭し店頭に並ぶようになると、カンペール焼きだけではなく多くの焼き物の窯元が潰れていきました。
アンリオ社は当時すでにフランス中に作品コレクターがいるほどの名声を確立したブランドであったこと、また、世間の評価におごらず常に新しい絵柄の皿を発表し続けたことで苦境を乗り越え、1969年に同じく残っていた『アッシュベー社』と合併し、『アッシュベー・アンリオ HB-henriot社』として生まれ変わりました。アッシュベー・アンリオ社はフランスに現存する最古の企業の一つとして、また、唯一残ったカンペール焼きの窯元として、歴史と伝統を守り続けています。

アッシュベー・アンリオ社では一般向けに工房見学を実施しており、カンペール焼きの制作を一から見学することができました。
アッシュベー・アンリオ社の工房の店先 1日3回のガイドツアーもあります
(左)アッシュベー・アンリオ社の工房の店先
(右)1日3回のガイドツアーもあります

まずは皿作りから。
粘土を空気を出すように練り、機械にセット。足元のスイッチを踏むとろくろが回り始め、セットした粘土に濡らしたスポンジを上から押し当てると遠心力が働いて徐々に薄く伸びてゆき、最後に機械で上からプレスして高台(底の形)を作ります。
本来であればろくろを動かして粘土を成形している職人の方の写真を撮りたかったのですが、ここは企業秘密という事で撮影はできず断念。それをまた成形し、12時間乾燥させます。これで成形工程の完了です。
成形用のプレス機。台座はろくろのように回ります プレスされた状態を分かりやすく展示
(左)成形用のプレス機。台座はろくろのように回ります
(右)プレスされた状態を分かりやすく展示

今度はその皿を素焼きします。1040℃の窯で9時間焼き、それを9時間休ませます。休ませないで次の作業に行くと、ヒビが入ったり、壊れやすくなるそうです。素焼き後の皿はビスキュイと呼ばれます。
ビスキュイ
ビスキュイ


しっかり休ませた皿はマイユと呼ばれる下塗りの釉薬に漬け、絵付けをします。素焼きした皿はそれ自体がからからに乾いており、釉薬にどぼりと漬けても数秒後には皿が水分を吸収し、表面はさらさらになります。だからこそこのあとの絵付けがやりやすくもあり、難しくもあるのです。

絵付け前には下書きをします。鉛筆等で直接書く訳ではなく、ビスキュイの上に小さく穴の空いた紙を置き、その上から炭粉を包んだ布で叩きます。そうすると穴を通って炭粉が下に落ち、下書きが完成します。

いよいよ絵付けです。先ほど述べたように素焼きの陶器は大変乾燥しているため、塗った釉薬がすぐに染み込んで乾いてゆくので色が混じる心配がなく、陶磁器は焼成後に1番外側に塗った釉薬の色が出てくるので、下の層の色と重なっていい色合いを生み出します。しかし、釉薬がすぐに乾くということは、絵付けはやり直しのきかない1発勝負という事でもあります。大きいものだと1日何時間もかけての絵付けもザラにあるそうですが、序盤であれ、終盤であれ、ミスしたものは売り物にできないとか。厳しい職人の世界ですね。
素焼き後の工程を段階的に展示
素焼き後の工程を段階的に展示

皿にパントゥル peintre(絵付け職人)が一つ一つ手書きで描く絵柄はカンペール・タッチと言われ、その温かみある絵柄がカンペール焼きの高い評価のゆえんとなっています。
有名な花のモチーフ。価格は30ユーロ(約4000円)ほど 民族衣装姿の男性も伝統的なモチーフの一つ。40~50ユーロ(約5000~6500円)
(左)パントゥルの作業の様子。空気が張りつめていました
(右)20世紀中頃のパントゥルの写真

こうした絵付けの修行は器用な人でも簡単な模様を書くのに2年、難しいものになると7年の期間が必要との事です。基本的な修行を終えた職人であれば、花柄のモチーフは20分、有名な男性の絵柄だと35分程で終わらせられるそうです。
パントゥルの作業の様子。空気が張りつめていました 20世紀中頃のパントゥルの写真
(左)有名な花のモチーフ。価格は30ユーロ(約4000円)ほど
(右)民族衣装姿の男性も伝統的なモチーフの一つ。40~50ユーロ(約5000~6500円)


最後に、皿の裏にアッシュベー・アンリオ社のマーク、製造番号、絵付け師のイニシャルを絵付け師自身が釉薬をつけた筆で書き、絵付けの終了です。
絵付けの終了

絵付けが終われば次は二次焼成、今度は940℃で7時間焼き、完成となります。
説明してくださった工房の方は、「1回目の素焼きは少々重なっていたりしても大丈夫ですが、この二次焼成ではきちんと並べる必要があります。等間隔で、絶対に重ならないように」と強く言っていました。並べ方にむらがあると釉薬が綺麗に溶けず、焼き上がりの美しさに影響が出るのだとか。こうして焼き上げられた皿は、焼いた時間と同じ7時間以上休ませて完成となります。

次に高さのあるもの、コップや彫刻類の制作工程も見学しました。
まずは工房に保管されている約1万個ある中から型を用意し、そこに液状に薄めた粘土を流し込んで6時間置きます。外側が固まったのを見計らって型を逆さにし、余分な粘土を取り出します。型は乾燥しているのでそこに液状の粘土が流れる事によって型に付着した粘土の水分が吸い取られ、固まっていく仕組みです。
型の保管庫。1万個以上の型が出番を待っています
型の保管庫。1万個以上の型が出番を待っています

それをまた更に6時間乾かし(大きな彫刻になると36時間!)、ここからは皿と同じように成形、素焼きをし、大きなものはここでマイユを塗り、もう1度焼いてから絵付けをしていきます。
大きなものになればなるほど壊れやすくなるため、リスクを減らすために普通の陶器よりも1度多く焼いて割れにくくするそうです。鼻や手、髪などの小さいパーツは大きい型では難しい為、別に小さい型を用意し、絵付けの段階になってから接着しています。
最大サイズの作品は全長1m20cm程
最大サイズの作品は全長1m20cm程

こうして皿から彫刻まで、大小様々な作品が年間に約13000点生み出されています。カンペール焼きといえば皿、というイメージだったために、今回それ以外にも彫刻など色々なバリエーションがあることを知りました。
月別ではバラつきがありますが、通常時は約20人の地元の職人と研修生のみで作業をするのに対し、忙しい8月や年末のバカンス期などはフランス全土やアメリカなどから60人の臨時スタッフが集まるそうです。この臨時スタッフですが、見習いから陶芸のプロフェッショナルまで幅広く、そのプロフェッショナルであってもやはりカンペール焼きのプロフェッショナルではないので、この期間の作品のレベルの維持は、正直な所難しいとおっしゃっていました。
ちなみに普段は工房長のもと、7人のパントゥル peintre(絵付け担当)、2人のキャリブラトゥール calibrateur(成形担当)、2人のコロラトゥール colorateur(調色担当)、2人の sculpteurスカルプトゥール(彫刻担当)の14人、そして5~8人のアシスタントで回しているそうです。

製造工程の中には、企業秘密を守る関係上、近寄っての見学や撮影が制限されていた箇所もあり、写真で十分お伝えできない部分もあったかもしれませんが、一見素朴な印象を持つカンペール焼きが、実際は熟練した職人の精巧な技術に裏打ちされたものである事が、実際の工程を見学することでよく理解できました。歴史ある有名な企業では、技術と伝統を尊重し、守るべきところは守る努力を惜しまないのだなと感じました。

伝統を守り継いでいるアッシュベー・アンリオ社ですが、その伝統におごることなく、今もなお革新を続けています。最近では国内外の著名なアーティストとコラボレーションし、伝統と革新を兼ね備えた作品を発表しています。
スペイン人作家ファレ・アンドルPhare Andolとのコラボレーション作品
スペイン人作家ファレ・アンドル Phare Andolとのコラボレーション作品


今回カンペール焼きの取材の為に色々と調べていたところ、「ブルゴーニュじゃないよ、ブルターニュ!!」 というブログにたどり着き、本コラムへの掲載にも快諾いただきましたのでご紹介します。ブログを書いているのは日本人の女性なのですが、ブルターニュ人の男性と結婚されたそうで、その際、その男性のご両親が工房に頼んで特別にオーダーメイドのカンペール焼きを作ったそうです。
着物を着た女性とブルターニュの民族衣装を着た男性。一見関連性のないこの2つが見事に皿の上に表現され、伝統的なカンペール・タッチで描かれたその絵は、何の違和感もなく見る人の心を引き付ける、そんな皿でした。これまで培ってきた歴史を尊重しつつ、新たな試みにも門戸を開くカンペール焼きの伝統は、こんなところにも現れているようです。
日本とブルターニュが融合し、表現されています
日本とブルターニュが融合し、表現されています

今では飾り皿として使われる事の方が多いそうですが、「やはりカンペール焼きは飾るだけではなく、料理の盛り付けにもどんどん使って食卓を華やかにしていただきたいですね」と、今回工房を案内してくださった方はおっしゃっていました。
確かにフランスでも、昨今のいわゆる星つき店と言われるようなモダンなレストランで使われているのは、真白な陶磁器が一般的です。しかし伝統的な温かみある家庭料理には、同じく伝統的な温もりのあるカンペール焼きがまさにうってつけのように思います。

なおアンリオ社は日本事務局を設立しており、皿以外にもカップやカトラリーなど様々な実用的なカンペール焼きの製品が Facebook(https://www.facebook.com/henriotquimperjapon)で紹介されていますので、ご興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。

今回カンペール焼きの工房を案内して頂き、実際に多くのカンペール焼きの作品を目にし、見たことのない絵柄、触れた事がないのにどこか懐かしさを感じられるカンペールの陶器の魅力を再確認することができました。

最後に、この取材にご協力くださった全ての方に感謝いたします。

筆者が1番気に入った作品。見ていると心が和みます
筆者が1番気に入った作品。見ていると心が和みます


-----------------------------------------------------------------------------------------
(注1)ブルターニュ公国(現在のブルターニュ地方とロワール地方の北西部に936年から1547年まで存在した独立国)において使用されていた公用語。併合から5世紀経った今なお、この地域の人々にはブルターニュ人としての気風、誇りが色濃く残っており、国籍を問われてもフランス人ではなくブルターニュ人と答えます。その背景を鑑み、本文中ではブルターニュ地域圏の人を「ブルターニュ人」と表記しています。


取材協力
HB Henriot faïencier (アッシュベー・アンリオ社)
住所:16 rue Haute - Locmaria - 29000 QUIMPER
電話:02 98 90 09 36

Musée Faïence Quimper (カンペール陶器博物館)
住所:14, rue Jean-Baptiste Bousquet - 29000 QUIMPER
電話:02 98 90 12 72


参考文献
『Histoire de la faïence de Quimper』 Bernard Jules Verlingue著、Editions OUEST-FRANCE刊

『Encyclopédie des CÉRAMIQUES DE QUIMPER』 Bernard Jules Verlingue、Philippe Le Stum著、Editions de la Reinette刊
『Quimper ville capitale』 Office de Tourisme QUIMPER刊