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食のコラム&レシピ

【とっておきのヨーロッパだより】ポワトゥー地方に伝わる黒いチーズケーキ

12<海外>とっておきのヨーロッパだより

2015.03.25

<【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム?>


フランスには様々な種類のチーズが数多くありますが、意外にもチーズを主体として作ったいわゆる「チーズケーキ」と言えるお菓子は一般的ではありません。日本では、チーズケーキにカマンベールチーズのような熟成タイプのチーズを使って作るパティスリーもありますが、自分の周りのフランス人にこのことを話したところ
「カマンベールチーズを甘いお菓子に使うなんておかしい」とか、
「チーズとしてそのまま食べたほうが美味しいのに、どうしてお菓子に使うの?」などの意見が返ってきました。

フランスでは一般的に「フロマージュ(チーズ)」と言えば、熟成がきいて塩気やうま味が強く、食事やワインと楽しむ食材であるというイメージが強いようで、そのチーズを材料に用いた甘いお菓子は、あまり一般的ではないようです。
しかし、熟成していないフレッシュチーズはまた別の立ち位置のようで、甘味を加えてデザートとして食べる他、伝統的にフレッシュチーズを材料としたお菓子を作っている地方もいくつかあります。その1つが、今回ご紹介する「トゥルトー・フロマジェ Tourteau fromagé」です。

表面は真っ黒
表面は真っ黒

薄くのばした砂糖の入らないタルト生地に、山羊乳のフレッシュチーズ、砂糖、卵、小麦粉、レモンの表皮などを混ぜ合わせたチーズ生地を流して焼くお菓子です。

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(左)試みに自分で作ってみました。まず、型にタルト生地を敷きこみます
(右)フレッシュチーズのベースとメレンゲを合わせます

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(左)チーズ生地を混ぜ合わせたものを流します
(右)どこまで焦がせばいいのか迷いますが、何とか焼き上がりました

何といってもこのお菓子の特徴は、その真っ黒に焦げた見た目でしょう。食べるに適した状態とはとても言い難いようなこの不思議な姿の起源は、誰しも気になるところです。トゥルトー・フロマジェの発祥の地については諸説あるようですが、19世紀ごろ、フランスの西部シャラント県のルフィニ- Ruffignyという小さい村で生まれたという説が、最も有力な説の一つと言われています。

またこの地方の有志により運営され、伝統料理や菓子を紹介しているインターネットサイト「パトリモワーヌ・ラ・レジョン・ド・ラ・クレーシュ Patrimoine La Région de La Crèche」によれば、トゥルトー・フロマジェはこの町のある女性料理人の失敗から生まれたのだとか。
ある日彼女は山羊の乳を使ったチーズのタルトをいつも通りに準備したのですが、オーブンに入れた事をすっかり忘れてしまい、タルトを取り出した時には、しっかりと膨らんではいたものの、真っ黒焦げでした。失敗したと思った女性料理人は、このタルトを隣人にあげたそうです。もらった隣人も真っ黒な見た目に驚いたのですが、切ってみたら中はしっとりふんわり、風味も良くて素晴らしいお菓子だった...というのが、このトゥルトー・フロマジェの起源だということです。うっかりして、失敗して...などの"怪我の功名"で生まれたエピソードをもつ美味しいお菓子は様々ありますが、このトゥルトー・フロマジェもその一つということでしょうか。

"トゥルトー"とはフランス西部で大西洋に面するポワトゥー・シャラント地方 Poitou-Charentesで獲れる有名なカニの名前で、そのずんぐりとした甲羅の形に似ていることから、このように呼ばれているそうです。ポワトゥー・シャラント地方は、日本でも有名な"エシレバター"の産地であるエシレ村も擁するなど、良質な乳製品が生産されるところとして知られます。トゥルトー・フロマジェの主材料であるフレッシュチーズは山羊乳のものですが、様々な美味しい山羊乳のチーズの産地としても名高い地方です。

先日ポワトゥー・シャラント地方を訪れ、本場のトゥルトー・フロマジェを見る機会に恵まれました。フランス校のあるリヨンから西に約500km、車で約5時間半のポワティエ Poitiersという街を目指しました。

宿泊した地元のホテルの人が「この辺りで一番有名だよ」と教えてくれたのが、ポワティエの市内中心地から2kmほど離れた幹線道路沿いにあるトゥルトー・フロマジェの専門店『トゥルトー・ジャーアン』です。ここでは、トゥルトー・フロマジェの製造と販売を同じ敷地内で行っています。朝9時のオープン時に行くと、駐車場から売り場に向かう途中で、もうその辺り一帯にお菓子の焼けた甘い香りが漂っています。

工房の中は広く、4人の従業員の方々が忙しく作業をしていました。20段ほどある大きなラックが3台あり、1段に10台ほどのった焼き型にはすでにタルト生地が敷きこまれています。そこに大人2人でも持ち上がらないぐらい大きなミキサーでチーズ生地が仕込まれ、次々に型に流していきます。ラックごと入るオーブンからは、すでに焼き上がった製品が出てきていました。オーブンの上の天井は、焦げからくる煙のため、すすで真っ黒になっています。
残念ながら、作る工程の写真は許可してもらえませんでしたが、「1つ3ユーロ、2つ買うと5ユーロだよ。」と笑顔で接客してくれたのが、責任者のパトリックさん。「今、焼きたてだから、蒸気がこもらないように袋を開けて持って帰ってね。食べるのは完全に冷めたものか、冷蔵庫で冷やしたほうが美味しいよ。」とのことでした。

次に訪れたのが、ポワティエから南西に約50km離れたシャラント県のルゼ Lezayという小さい村にある『サル・ボゥボー』です。ポワティエ付近の一般店などに製品を卸している卸専門のお店で工房は郊外にあり、探すのに苦労してやっと見つけたのは1本の立て看板。

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車で飛ばしていると見落としてしまいます

車1台しか通れない細い路地をひたすら進んで民家もなくなってきたなと思っていると、もう一つの看板が現れ、ようやくたどり着きました。

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(左)この看板を見つけてやっと安心できました
(右)この工房で1日約400個製造されます

訪れた時はもう製造が終了していましたが、お店の主人のボゥボーさんがお話を聞かせてくれました。
「これがウチのトゥルトー・フロマジェだよ。今では工場生産のものが増えているけど、これはウチで職人が手作りしているんだ」「味見してみるかい?」と言うと、2つのトゥルトーを切り始めました。「1つは山羊のフレッシュチーズのもので、もう1つが牛のフレッシュチーズのものだよ」
本来は山羊乳のフレッシュチーズで作られるトゥルトー・フロマジェですが、最近では、山羊乳よりも風味がマイルドな牛乳のフレッシュチーズで作ったものの方が好まれる傾向にあり、生産が増えてきているそうです。

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(左)左が牛乳の、右が山羊乳のフレッシュチーズで作られたもの。中身、外観共に見た目の違いはほとんどありません
(右)内層はきめ細かくしっとり(ちなみにこれは山羊乳のものです)

「この黒い焦げの部分だけど、食べても食べなくてもいいんだよ。」そう言ったものの、ボゥボーさんは焦げの部分を含めて、一緒に食べ始めました。それを見て私も慌てて、一口大きく頬張ってみました。黒い部分はそれほど焦げの味は強くなく、一緒に食べると真ん中のミルキーな味わいの甘さと相まって絶妙な美味しさとなっていると思います。中身の部分はふんわり、かつしっとりとしていて、スフレタイプのチーズケーキのようです。
2種類を食べ終えた後に「山羊のチーズで作ったほうがコクと酸味があって、好きですね。」と感想を言うと、ボゥボーさんも「私もだよ。やっぱりこっちがオリジナルだからね。」とおっしゃっていました。この地域ではこのチーズケーキを朝食に食べたり、食後に地元産の甘口酒精強化ワイン、ピノー・デ・シャラント Pineau des Charentesと一緒に食べることもあるそうです。

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(左)ピノー・デ・シャラントと一緒にいただいてみました。相性は抜群
(右)1つ8~10ユーロほどで購入できます

近年トゥルトー・フロマジェは、大手製造会社の製品が全国規模で流通するようになり、本来の生産地ではない、フランス校のあるリヨン近郊のスーパーマーケットなどでも見かける事があるほどで、小規模な伝統の手作りのものが減っているとも聞いていたのですが、"発祥の地"であるこの地域では、正規の製菓店でないチーズの製造所などですらもトゥルトー・フロマジェの製造・直売が盛んな様子。手作りのトゥルトー・フロマジェの伝統が途絶えることはないようで、安心しました。

最後にトゥルトー・フロマジェを作る専用の型が面白いので、紹介します。素材はスチールなどの鋼鉄で、フッ素加工したものもあり、直径15㎝ほどの半円を少し平にしたような形です。他の焼き型と比べると非常に軽いですが、底が平らになっているので転がりません。
今回訪問した2つの店舗ではトゥルトー・フロマジェの製造工程の撮影許可をいただく事ができなかったため、フランス校に戻ってから、この型を使ってトゥルトー・フロマジェを作ってみました。冒頭で紹介したトゥルトー・フロマジェの製造工程は、いずれもお土産に買ったこの型を使ったものですが、独特の形状や、ふんわりと丸みを帯びてふくらむ表面の焦げ具合など、この型があってこそトゥルトー・フロマジェができるのだという事を再確認しました。

最初に紹介した通り、フランスでは濃厚なチーズを用いたお菓子は必ずしも一般的ではなかったのですが、最近パリでは濃厚で脂肪分の高いベイクドタイプの、いわゆる「ニューヨーク風チーズケーキ」と呼ばれるものが流行してきているようです。一般的にフランスではアメリカの食文化に対して「肥満になる人が多い」など不健康なイメージが強く、ニューヨーク発祥と言われるこのチーズケーキも敬遠されるかと思いきや、先日パリを訪れた時にはニューヨーク風チーズケーキ専門店ができていたり、有名デパート内に入っているパティスリーにも置いてありました。
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しっかり濃厚な味わい

『フゥ・ド・パティスリー Fou de pâtisserie』(フランスの一般向け製菓雑誌)にも、濃厚なチーズケーキの特集記事が組まれたり、国内で行われる製菓コンクールのテーマがチーズケーキになったりと、話題は絶えません。
伝統的なフランスの「チーズケーキ」トゥルトー・フロマジェが、山羊乳で作った本来の物より牛乳原料の方を好む層が増えてきている事といい、以前は考えられなかった「アメリカの味」ニューヨーク風チーズケーキの流行といい、時代の流れによって人の嗜好は少しずつ変わるものなのでしょう。ニューヨーク風チーズケーキも、今後はさらにフランス国内全体に広まるかもしれません。でもこのチーズケーキは、フランス人にとってはあくまでもフランスの伝統的なチーズを用いたものとは別のお菓子。「ル・ガトー・オ・フロマージュ Le gâteau au fromage」ではなく、外来語としての「ル・チーズケーキ Le cheesecake」として受け入れていくのでしょうね。

※1ユーロ=約133円(2015年2月現在)

参考サイト:
「Patrimoine La Région de La Crèche」
URL http://patrimoine-lacreche.pagesperso-orange.fr/

参考文献:
「Fou de pâtisserie No.7」2014年9,10月号

取材協力店:
『Tourteau Jahan』
住所: Rond-point de l'aéroport Poitiers-Biard 86000 Poitiers

『Sarl Baubeau』
住所: L'Artigault 79120 Lezay