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連載コラム とっておきのヨーロッパだより
辻調グループ校には、フランス・リヨン近郊にフランス料理とお菓子を学ぶフランス校があります。そこに勤務している職員が、旅行者とはまた違った視点から、ヨーロッパの日常生活をお届けします。
ブルターニュとカレー
  カレーといえば、今や日本の国民食といっても過言ではない。カレーパンからカレー南蛮まで、実際、何らかの形でカレーは日本の食卓の日常であるし、東京や大阪といった大都市では、世界各国のカレーを提供する専門店から、日本人に馴染みの深い昔ながらの「カレーライス・ライスカレー」を供する定食屋や大手チェーン店まで、無数の店舗がしのぎを削っており、中には、日本人のお家芸である換骨奪胎の手法で、各国のカレー料理を独自にアレンジし、相当にレベルの高い、いわゆる昔ながらの「カレーライス」とは違った日本独自のカレーを確立している店も少なからずある。このように、何かとカレーに縁の深い日本であるが、一見カレーとは縁もゆかりもないフランスにもれっきとしたカレー文化があると聞いたら、皆さんは驚かれるだろうか。しかし、それは存在する。舞台はフランス最西端、ブルターニュ地方の港町ロリアンである。
  それは「カリ・ゴスKARI GOSSE」(日本風に言えば「ゴス・カレー」)という。19世紀後半にロリアンの薬剤師ゴス氏が調合し特許権を獲得した混合香辛料の名前である。以後、薬局と特許権は次々に所有者を変えながらも、カリ・ゴスの製造方法は秘密裏に綿々と引き継がれ、1930〜40年の最盛期にかけては、なんとベルギーとモロッコに輸出までされていたという。この逸話からも、往時のこの香辛料の華々しい成功を偲ぶことができるが、第2次世界大戦(ロリアンは空爆により焦土と化した)等の紆余曲折を経た現在では、同じモルビアン県にあるオーレという小さな町に製造所を移し、限られた得意先に向けて少量生産されるのみ。製造方法は依然として謎のままである。その全生産量の約8割が、独占的に販売を委託されている「パスカル=アントワーヌ・パンソン薬局」に卸されているのだが、現在2代目となるパンソン氏が所有するこの薬局こそが、何を隠そう、かつてゴス氏が所有していた薬局なのである。


ロリアンのパンソン薬局。いたって普通の薬局   向って左が2代目パンソン氏。1961年に先代が店舗を買い取った

ロリアンのパンソン薬局。
いたって普通の薬局

 

向って左が2代目パンソン氏。
1961年に先代が店舗を買い取った


  そもそも香辛料には様々な薬効があるし、他ならぬ薬局で販売されているのだから、当然薬として購入する人がいると思うなかれ。パンソン氏によれば、
カリ・ゴス。他の薬と一緒に陳列

カリ・ゴス。他の薬と一緒に陳列

 
大、中、小3種類のサイズがある。ラベルにはオマールのイラスト入り。小で値段は2.50ユーロ

大、中、小3種類のサイズがある。ラベルにはオマールのイラスト入り。小で値段は2.50ユーロ

カリ・ゴスは100%調味用であり、購入者のほとんどが地元のレストラン業者ということである。さて、肝心の味であるが、まず驚かされるのが、むせ返るように強烈な丁子の香りと、辛みの強い乾燥唐辛子が持つ何とも芳しい香りであり、通常のカレー粉に支配的なクミンやコリアンダーの香りはほとんど感じられない。こちらもまたカレー粉と呼ぶことが憚れるような、ほとんどチリパウダーのようなかなり赤みがかったその色と、前述の香りからも当然予測されるように、舌を刺すような鮮烈な辛みの中に、ターメリック特有の独特な苦みがわずかであるが感じられる。全体として非常に清涼感のある、さっぱりとした後口の混合香辛料であり、そのラベルにオマールのイラストが描かれていることからも、魚介類の生臭さ等を消す効果があるのだろう。実際、フランス料理でも、鶏や羊といった肉料理の臭み消しや風味付けとしてカレー粉を用いることはある。とはいえ、カリ・ゴスのような強烈な辛さとは、やはり無縁と思えるフランス料理である。いったいどのようにして料理に使用されているのだろうか。早速地元のレストランを訪れてみた。


  訪れたのは、近海で獲れた新鮮な魚介と地元の食材を使った料理で評判の「ル・ジャルダン・グルマンLe Jardin Gourmand」。シェフはロリアン生まれのナタリー・ボーヴェである。
Le Jardin Gourmand店内

Le Jardin Gourmand店内

「典型的なブルターニュ料理です」と供されたのは、ソテしたメルルーサを、パリッと焼いたガレット(ブルターニュ地方名物のそば粉入りクレープ)で包んだ一皿。周りには茹でたラングスティーヌと、やはりブルターニュ地方特産の有塩バターでモンテした甲殻類のソースが添えてある。そして主役のカリ・ゴスはというと、少量が皿の縁に散りばめられている。ちょっと重めのソースにガレットとメルルーサを浸し、カリ・ゴスを控えめに塗して食べると、ピリッとした心地よい刺激の後、甲殻類、バター、メルルーサ、そば粉、丁子の入り混じった香りがフワリと鼻から抜け、非常にさっぱりとした後味である。
メルルーサのガレット包み

メルルーサのガレット包み

 
皿の縁の粉末状のものがカリ・ゴス

皿の縁の粉末状のものがカリ・ゴス

美味。なるほどいくら辛いとはいえ、量の匙加減次第で辛さは調節できるのだし、主役の料理の味を邪魔することなく引き立てるには、少量用いれば事足りるように、この位の刺激と香りがあっても良いのかもしれない。それに、直接料理に振られていないというのも理に適っている。もし途中で料理の味に飽きてきたら、日本で天婦羅やステーキを様々な種類の塩で楽しむ要領で、皿の縁のカリ・ゴスを塗して食べるようにすれば、同じ一皿を2倍楽しむことができるではないか。食後、シェフにお話を伺ったところ、彼女にカリ・ゴスを使った料理を教えてくれたのはおばあちゃんだという。また、カリ・ゴスは、自分に限らずロリアンっ子なら誰しも幼少時から慣れ親しんでいる、いわば思い出の味のようなものらしい。使用するのは専ら魚介類の料理で、オマールのカリ・ゴス風味というなんとも贅沢な伝統料理もあると仰っていた。我々の横で話を聞いていた、おそらく地元の方であろう女性客が、「そうだそうだ」というように何度も笑顔で頷いていたのが印象的であった。

  ロリアンはLorientと綴る。アポストロフを入れればズバリ「オリエントL’orient」である。1664年、先行するイギリスとオランダに対抗すべく、ジャン=バティスト・コルベール(1619-1683)によって創設されたフランス東インド会社が造船所と倉庫を建造したことに出自を持つこの港町は、約1世紀しか続かなかったフランス東インド会社と、当然ながら盛衰を共にする運命であった。しかし、かつてブルターニュ地方を賑わしたこの町の香辛料商人たちの遥かな栄華の記憶は、カリ・ゴスという形で現在まで生き延び、ナタリー・ボーヴェのような料理人によって未来に継承されていくのかもしれない。

  余談になるが、同じブルターニュ地方の港町カンカルには、
Les Maisons de Bricourtが経営する香辛料販売店。レストランに隣接しており、スパイシーな香りが充満している

Les Maisons de Bricourtが
経営する香辛料販売店。
レストランに隣接しており、
スパイシーな香りが充満している

やはり香辛料を用いたスペシャリテで名高い3ツ星レストラン、「レ・メゾン・ド・ブリクールLes Maisons de Bricourt」がある。そのカンカルにほど近いサン=マロは、1715年にはサン=マロ東インド会社が設立された城塞都市であり、18世紀に英仏海峡を荒らしまわった、コルセールと呼ばれた海賊の拠点地であった。
壁一面に並んだ混合香辛料。実際にレストランで使用しているもので、購入可能

壁一面に並んだ混合香辛料。
実際にレストランで使用している
もので、購入可能

シェフのオリヴィエ・ロランジェ自身が著作『クルール・ド・ブルターニュCouleurs de Bretagne(「ブルターニュの色彩」)』(Flammarion,1999)で語るところによれば、幼少時の彼のヒーローは、いずれもサン=マロ出身の、コルセールのロベール・シュルクフ(1773-1827)と、フランス東インド会社に所属し、現モーリシャス島及び現レユニオン島の総督であったマエ・ド・ラ・ブルドネ(1699-1753)であったことを考え併せれば、 彼の次のような一連の発言は示唆に富んだものとなるだろう。「世界へと乗り出したこれらのブルターニュ人がそうであったように、私には香辛料に対するブルターニュ的情熱がある。」「香辛料を用いることで私はサン=マロの冒険精神を表現し、水平線の向こう側に抜け出すのである。」このように、オリヴィエ・ロランジェに香辛料を使わせているのは、彼が生まれ育った土地に3世紀に渡って育まれた記憶であり、彼の母方の祖父が香辛料を扱う食料品卸業者であった事実を付け加えるなら、ナタリー・ボーヴェ同様、家族によって育まれた記憶であると考えるのは行き過ぎであろうか。


 

コラム担当

フランス、エスコフィエ校事務職員
人物 山路 広樹
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