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【とっておきのヨーロッパだより】中世の佇まいの町ペルージュとガレット・ペルージェンヌ
2015年07月31日

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<【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム?>


ペルージュ Pérougesという町をご存知ですか?

ペルージュの町、外観。丘の上、石の高い壁に囲まれている
ペルージュの町、外観。丘の上、石の高い壁に囲まれている

この町はリヨンから北西へ40kmほど離れた、アン平野の小高い丘の上にあります。城塞に囲まれた中世の佇まいを色濃く残す小さな町で、建物のほとんどが歴史的建造物に指定されており、『フランスで最も美しい村』(注1)の一つにも選ばれています。

町に入るとすぐに上門が出迎えてくれる 城塞協会。壁の一部は城壁の一部でもある
(左)町に入るとすぐに上門が出迎えてくれる
(右)城塞協会。壁の一部は城壁の一部でもある

町は1時間あれば全体を周れてしまうくらい小さく、町の中心にある菩提樹広場の近くにはレストラン、土産物屋、博物館などがあります。

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菩提樹広場。この木は「自由の木」と呼ばれ、フランス革命末期の1792年に植えられた。現在は歴史的文化財として保護されている


このペルージュという町は、イタリアのペルージャ Perugiaから来た移民たちによって築かれたと言われています。ペルージャはイタリア中部にある山上都市の1つで、紀元前8世紀から同1世紀ごろまでエトルリア文明(注2)で栄えた町です。現在も町の周囲を巡る城壁や城門が残されており、ペルージュとペルージャの共通点を見つける事ができます。

ペルージュはかつてその地理的特徴から軍事上の戦略拠点となり、12世紀には城塞が築かれました。14世紀から16世紀まではサヴォア公国(注3)と隣接するドフィーネ地方の君主たちがペルージュを奪い合い、幾度となく紛争の舞台となりました。その後、フランスとサヴォア公国の間で争われましたが、1601年にフランス領になりました。町を囲んでいる高い城壁は、当時の争いの激しさ、厳しさを物語っているようにも思えますね。
フランス領になった後、18世紀末までは手工業、特に織物業が盛んに行われ、長い繁栄の時代を迎えます。

しかし19世紀、産業革命の影響により、近隣都市リヨンの繊維産業が活性化し、地元産業が衰退します。また、鉄道の開通により、ふもとの町メキシミュー Meximieuxへ住民の移住が増え、ペルージュの町は廃れてゆきます。20世紀の初頭には、1500人いた町の人口は数人にまで減少、建物も崩壊寸前の状態にまで陥りました。

そんな危機的状況の中、ペルージュを守ろうという運動が起こります。
この運動の指導者アンセルム・ティボー Anthelme THIBAUTはペルージュ近郊の町出身で、リヨンの高校で化学の教師をしていました。彼の父親はペルージュ生まれで、当時ペルージュで大工の棟梁をしていましたが、建物が壊れ、町が失われつつあることを非常に悲しんでいました。アンセルムは、父の悲しみや廃れゆくペルージュを目の当たりにし、町を守りたいという気持ちにかられます。そして町を守るため、新聞などの媒体を利用した報道キャンペーンをローヌ・アルプ地域で起こしました。

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(左)当時の新聞(1911年ごろ)。ペルージュの町の現状などが書かれている
(右)ペルージュ博物館内展示。アンセルム・ティボーとエドゥアール・エリオ、ペルージュの歴史

ティボーは1911年、損害を受けた建物の保護や維持を目的とする『旧ペルージュの擁護と保全委員会』を立ち上げます。その運動はエドゥアール・エリオ(注4)の支援を受け、町の建物の修復や保護に多いに役立ちました。現在町の建物は修復され、とても美しい町並みになっています。

長い歴史を持つこのペルージュには、町の名を冠した名物菓子ガレット・ペルージェンヌ Galette pérougenne (もしくはガレット・ド・ペルージュ Galette de Pérouges)があります。

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卵やバターをたっぷり使って練ったブリオッシュ生地を薄く丸く延ばし、バターと砂糖を振りかけ、高温のオーブンで焼いた菓子です。ペルージュの町に入ると、あちこちのパン屋やレストランの店先で売られている光景が目に留まります。

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(左)レストランの軒先
(右)シンプルな物の他に、プラリ-ヌ・ルージュ(注5)をのせたものも

ガレット・ペルージェンヌは起源が比較的はっきりした菓子の一つと言えるでしょう。初めて作りだしたのは町の中心広場に位置するホテル兼レストランの『オステルリ・デュ・ヴュー・ペルージュ Hostellerie du Vieux Pérouges』と言われています。

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オステルリ・デュ・ヴュー・ペルージュ外観

こちらのレストランの厨房へ続く壁には『ガレット・ペルージェンヌ、1912年より当ホテルのスペシャリテ』と書かれた看板があり、その隣に『ガレット・ペルージェンヌの歴史』の紹介文がありました。

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紹介文を訳すと、以下のようになります。
"何世紀も昔、小斎日(注6)の金曜日は村の釜に火をつけ、一週間分のパンを焼いた。村ではその火を利用して、甘いタルトを焼いた。"
"1912年、マリー=ルイーズ・ティボーはその夫アンセルムとペルージュに住み着き、オステルリ・デュ・ヴュー・ペルージュを復活させた。"
"彼女の目的は、壊滅状態にあった町に命を吹き込むことであった。そしてその頃、彼女は古いレシピの金曜日に焼かれていた甘いタルトをより美味しい形で再現した。"
"そのレシピはいつも変わらず、ブリオッシュ生地を薄く延ばし、たくさんのバターと砂糖で焼き上げたものである。"
"このガレット・ペルージェンヌは多くの旅人に好まれた(時代によっては旅人の数は多くは無かったが)。ガレット・ペルージェンヌはペルージュの名を広めるのに貢献し、そしてその復活にも大きく携わったのだ。"

ペルージュ復興の立役者であるアンセルム・ティボーの妻であるマリー=ルイーズ夫人によって、古くからあるタルトを原型に改良を加え、現在の形になったのだそうです。つまり、夫婦2人でペルージュの町の復活に尽力したのですね。
現在ではこのオステルリ、アンセルム夫妻の直系の子孫によって経営されています。今もなお、ティボー一族でペルージュの町を守っているという訳ですね。

ガレット・ペルージェンヌの大きさは店によってまちまちですが、だいたい直径30〜40cmくらい。ホールで箱に入れてお持ち帰りでも、1切れだけ買って、その場で食べてもOK。見た目は大きいですが、生地を薄く延ばしてあるので1切れぺろりと頂けます。さっくりした食感と、キャラメリゼされた砂糖の香ばしさがとっても美味しいです。

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一切れだけ買うと、紙に包んで渡してくれる

ペルージュのカフェやレストランでは食後のデザートとしても頂けます。ちなみに、この地方のワイン、セルドン Cerdon(ロゼのスパークリングワイン)と合わせて食べるのが通なのだとか。少し乾いた食感のあるガレット・ペルージェンヌはそれだけを食べ続けていると口の中がもそもそしてくるのですが、微炭酸でほのかに甘い口当たりのセルドンと合わせることで口の中がすっきりし、また次が食べたくなります!

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セルドンとガレット・ペルージェンヌ

せっかくなので、『オステルリ・デュ・ヴュー・ペルージュ』のレストランで"元祖"ガレット・ペルージェンヌをいただいてみる事にしました。レストランの内装は、古き良きヨーロッパを思わせる造りです。

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ここで食べるガレット・ペルージェンヌはちょっと特別です。生クリームが大きな壷に入って提供されます。各自お好みの量を皿に取りましょう。ちなみに、他のレストランでも生クリームを添えてくれるところはありますが、壷で出てくるのはこの店だけです。生地からほんのり香る、爽やかな柑橘の香りが食欲を増します。

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(左)他の店と比べると、ちょっと大きめサイズ
(右)たっぷりの生クリーム。客は自分の好みの量を取れる

店員は白いヘッドドレス、ショール、エプロン、黒いワンピースの、伝統的なペルージュの衣装でサーヴィスしてくれます。

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19世紀半ばから変わらぬ姿だとか

このお店の裏には厨房があり、レストランで提供するためのガレットを作っているところを見る事ができます。
それでは、本家本元の作り方を見てみましょう!
まずは生地作りから。こちらでは、ブリオッシュ生地にオレンジとレモンの皮を香り付けに入れているそうです。丸めて発酵が終わったものを、麺棒で丸く、薄く延ばしていきます。

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次に、表面に柔らかくしたバターを塗り、砂糖を一面に振りかけます。

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"薄く、均一に"が、こつなのだとか

そして、高温のオーブンで一気に焼き上げます!

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大きな丸い木べらで、手早く出し入れ

4~5分もすれば表面はぐつぐつ、砂糖が少しだけキャラメリゼされた頃が焼き上がりです。薄い生地に砂糖をふって焼いているので、あっという間に焦げてしまいます。焼き上がりのタイミングが重要です。

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熱いうちにカットして出来上がりです。

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この職人さん、1日に30〜40枚くらい焼くのだそう。16切れ×40枚=640人分!!!凄い数ですが、とっても美味しいから、焼いたそばからみんなのお腹の中に入っていってしまうのでしょうね。

ペルージュという町は、決して大きくて豊かな町ではありません。ですが、ここには古い歴史と、そこに住む人々の誇りや愛情がたくさん詰まっています。町を守るために立ち上がった夫と、それを支えた妻のガレット・ペルージェンヌ、夫妻の意志を代が替わっても受け継ぐ人々。日本にいると忘れてしまいがちな古いものの良さ、守ることの大切さを感じました。
リヨンに行く機会があればぜひ、少し足を伸ばしてペルージュにまでいらして下さい。そして、ガレット・ペルージェンヌを一切れ片手に、町を散策してみて下さい。きっと新しい発見があるはずです。


(注1)質の良い遺産を多く持つ、田舎の小さな村の観光を促進することを目的とし設立された協会。協会では厳しい選考基準を設けており、人口が2000人を超えないこと、最低2つの遺産・遺跡(景観、芸術、科学、歴史の面で)があり土地利用計画で保護のための政策が行われていること、コミューン議会で同意が得られていることなどがあげられる。
公式サイト http://www.les-plus-beaux-villages-de-france.org

(注2)紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろ、イタリア中部においてエトルリア人により築かれた12の都市国家に渡る高度な文明。

(注3)1416年、サヴォア家のアメデーオ8世が、神聖ローマ皇帝ジギスムントから公位を授かり成立した公国。現在のイタリア北西部(ヴァッレ・ダオスタ州、ピエモンテ州)とフランス東部サヴォア地方やアルプ=マリティーム県、ジュネーヴ(スイス)まで含む。

(注4)フランスの政治家。オーブ県トロワ出身。高等師範学校を卒業後、急進社会党に参加。1904年にリヨン市議に初当選。政治家としてのキャリアをスタートする。その後リヨン市長の傍ら、急進社会党の領袖として3度(1924年・1926年・1932年)内閣を組織し、首相を務める。

(注5)アーモンドに糖衣がけをし、赤く着色した菓子。詳しくは『シンプルだけと奥が深い菓子 プラリーヌ』
https://www.tsujicho.com/column/cat/post-423.html
を参照ください。

(注6)カトリック協会において、キリストの苦難を偲ぶために定めた、肉食をしない日。

取材協力店
『Hostellerie du Vieux Pérouges』
Plade du Tilleul,01800 PEROUGES

『PEROUGES Relais de la Tour』
Plade du Tilleul,01800 PEROUGES

『AUBERGE DU COQ』
Rue des Rondes,01800 PEROUGES

『Musée du Vieux Pérouges』
Rue du Prince,01800 PEROUGES

『Office de Tourisme de Pérouges』
Entrée de la Cite, 01800 PEROUGES

このコラムの担当者

岡部 由香

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