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【日本料理一年生】 48時間目 すき焼き
2013年10月16日

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<【日本料理一年生】ってどんなコラム?>


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●すき焼き●

 日本料理の基本的な料理、今回は世界中に知られている「すき焼き」です。約50年前に坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」は、アメリカでは「SUKIYAKI」という英語のタイトルでヒットチャートの1位になり、牛肉が大好きなアメリカ人の心を捉えたようでした。
 子供の頃、我が家では、家族の誕生日やおめでたいことがあった時などに食べる特別な料理が「すき焼き」でした。当時、一般家庭の食事は、まだまだ野菜と魚が中心で、なかなか牛肉を食べる機会がありませんでした。その牛肉をたっぷり食べられる唯一の料理が「すき焼き」でした。
 すき焼きの日には、料理人であった父親がすき焼き鍋の前に陣取って焼きます。家族は取り皿に卵を割って溶きほぐし、じっと父親の箸先を見つめます。
 父親はまず、牛肉が包んである竹の皮を開き、肉に添えられている脂の塊(ケンネ脂)を熱した鍋に取り箸で投入し、全体に広げます。薄煙が立つころに砂糖をスプーンで振りかけるように散らし、薄切りの牛肉を1枚ずつ鍋全体に広げ、上から醤油をたらーりと垂らし、全体に味をなじませていきます。
 箸先に着いた煮汁を左手の甲に落とし、ぺろりとなめて味を確かめ、味が濃ければ自分の晩酌の燗酒をお銚子からから注いで味を調え、「さあ!食べよう。」と言います。これを合図に、家族が初めて鍋から牛肉を取って食べ始めるのでした。この父親の一連のしぐさが、親父然として私は好きでした。考えてみると、今の我が家も「すき焼き」の時は、私が父親と同じことをやっています。

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 この父親が作る「すき焼き」の調理法は、関西独特のやり方です。今でも「すき焼き」の専門店に行くと、仲居さんがお肉を焼いてくれます。ただ、砂糖や醤油の量は仲居さんの感覚ですから、長年の経験を積んだ仲居さんでないと到底無理なことで、新米の仲居さんは先輩のやり方を繰り返し「見て覚える」ことが大切です。
 そこで、だれでも同じ味付けができるように「割り下」という調味料をすべて合わせたものを使うようになりました。関東ではこのやり方が多いようです。

 「すき焼き」のルーツは、江戸も末期頃、農作業で忙しいとき、農具の鋤(すき)の金属部分で、たまたま捕れた小鳥などを焼いて食べた。とか、肉や魚の身の「剥き(すき)身」を焼いて食べたとか、諸説あります。 明治に入り、政府は「富国強兵」を唱えますが、欧米人に対して日本人の体格の差は歴然としたものがありました。これは肉食を多用している欧米人と、魚と野菜中心の食事の日本人の違いと考え、肉食を解禁し、明治天皇が牛肉を食べて、国民に肉食を奨励しました。これ以後、牛肉を鍋物にした牛鍋が、文明開化の象徴として、国民に浸透して行ったようです。
 大阪では、この「すき焼き」をアレンジした商品が多くあります。「丸萬本家」の季節の鮮魚と野菜などを独特のたれで炊いた「魚すき」、「美々卯」のうどんに季節の魚介類や野菜を入れた鍋物の「うどんすき」などです。

 先週金曜日に、コラムの締め切りが迫っていると聞き、頭の中は「すき焼き」でいっぱい。ドライブの途中、伊賀のドライブインに入ると目につくのが、「伊賀牛」商品です。「伊賀牛饅頭」、「伊賀牛時雨煮」、「伊賀牛コロッケ」、そして「伊賀牛すき丼」です。思わず「伊賀牛すき丼」を昼食に購入。家族でベンチに腰かけて味わいます。忍者の活力の源になったといわれる伊賀牛は柔らかく、玉葱だけを一緒に軽く煮込んであり、添えてあるタレをかけると、うまさがご飯にまでしっかり染み込んで、本当においしかったです。名阪国道、大内IC横の上野ドライブインで味わえます。

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このコラムの担当者

タイ語の話せる日本料理のおとうちゃん
小谷良孝

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

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すき焼き

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