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【日本料理一年生】 50時間目 バッテラ
2014年05月07日

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<【日本料理一年生】ってどんなコラム?>

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●バッテラ●

 「日本料理一年生」は、今回が50時間目です。2006年の4月27日に1時間目の「かつお節と昆布の一番だし」を皮切りとし、丸8年が経ちました。

 

50時間目 


 今年は我らが辻調理師専門学校のある「大阪」にスポットをあてます。大阪グルメといえばたこ焼きやお好み焼きといった粉物文化が有名ですが、もっと美味しい「大阪産(おおさかもん)」をご紹介しましょう。
 最初は「バッテラ」です。関西以外の方はなじみのない名前かもしれませんね。関西では、コンビニのすしコーナーには、必ずといってよいくらい並んでいる鯖のおすしです。
 
 すしの歴史を調べると、「なれずし」が「すし」のはじまりといわれています。
詳しくは「日本料理一年生 36時間目 鯖きずし」をご参照ください。
 鎌倉時代から室町時代にかけて、なれずしの発酵時間を短くし、高価であった米も食べられるようにしたのが「なまなれずし」です。ここで、ご飯と魚介類を一緒に食べるようになりましたが、それでも、でき上がるまでは2週間~1ヶ月ほどかかりました。

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  安土桃山時代には、乳酸発酵の代わりに、魚やご飯に、直接、酢をかけるようになります。これを「早ずし」といいます。この頃、「杮(こけら)ずし」と呼ばれるすしが各地で作られるようになります。「杮」とは、木を薄くそぎ取ったもののことです。

 底と蓋がついた木枠を使い、薄くへいだ魚を敷きいて、酢で味つけしたご飯を詰め、重石で押さえます。こうして作ったものを、「押しずし」といったり、木箱のようなものを使って作るので「箱ずし」と呼んだりするようになりました。でき上がってから数時間~数日おくことで、ご飯と魚が一体となって美味しくなりました。この時代から、海の魚を中心に使うようになりました。

 大阪では、1841(天保12)年に旅籠屋を営んでいた吉野屋嘉助が吉野寿司を創業。三代目の吉野屋寅蔵が、鯛、海老、穴子といった材料を使う高級志向のすしを考案しました。これが「箱ずし」と呼ばれ、大阪のあちこちのすし屋で作られるようになりました。
 吉野寿司の七代目となる橋本卓児氏は、本来、大阪ずしの店内にはないカウンターを設置し、焼き穴子は焼き立ての熱々のおいしさを味わっていただくなど、もともと熟れさせる箱ずしを、押してすぐお出しするという新しい提供方法を考案されました。


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●箱ずしです●


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●箱ずしの型です●

 

 大阪ずしといえば「押しずし」や「箱ずし」が有名ですが、ユニークなのが「バッテラ」です。今から120年ほど前の明治20年代後半、大阪湾でたくさんのこのしろが獲れたようです。安価なこのしろをすし屋が仕入れ、すし種にしたところ大好評でした。腹開きにして塩をし、酢で締めたこのしろと、すし飯を布巾で締めると、平底のボートの形に似ています。

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●このしろを布巾締めした状態●

 いつしか、ポルトガル語で小舟の意味の「bateira(バテイラ)」といわれるようになり、これがなまって「バッテラ」になったといわれます。バッテラがよく売れたため小舟形の木枠、バッテラ型が作られました。ところが、このしろは漁獲量に変動がある魚でした。そこで、値段が安く、手に入りやすい鯖に変わり、技法も、すし型もかわっていき、現在のバッテラ型は長方形のものになっています。

 

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●現在のバッテラ型●

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このコラムの担当者

タイ語の話せる日本料理のおとうちゃん
小谷良孝

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

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バッテラ

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