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【百人一首と和菓子】冬の契
2014年11月26日

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<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>

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お菓子について
愛する人との出会いと別れ、嬉しさ、寂しさなど......
恋する気持ちをお菓子に表しました。

豆辞典
52 藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)
 平安中期の歌人で、生まれた年は972年、亡くなった年は994年です。45番の歌の作者、謙徳公(けんとくこう=藤原伊尹ふじわらのこれただ)は、道信の母方の祖父にあたります。作者は23歳で亡くなりましたが、このとき、従四位上左中将という地位にあったので、長く生きていれば、政治の中心人物になっていたかもしれません。
 中古三十六歌仙という歌詠みの名人にも名前を連ねています。歌詠みとして有名だった貴公子が、若くして亡くなったのは惜しいことです。道信の亡くなった年の前後には、天然痘が流行っており、都では、人口の半分が死んだともいわれました。道信ももしかしたら、この病で亡くなったのかもしれません。

さて、歌の方ですが、
 夜が明けたならば、必ず日は暮れるので、夜が来れば、またあなたに逢えるのだけれども、それでもやはり、しばらくの間は別れていなくてはならない。やはり明け方というものは恨めしいのです。

というくらいの意味です。
 『後拾遺集』という和歌集にも同じ和歌が入っていて、詞書(ことばがき=和歌の作られた背景を述べた前書き)によると、雪がうっすらと積もった朝、女性のところから帰るときに女性に対して送った歌だと分かります。男性が明け方に去ってから、和歌が届くまでの時間が短ければ短いほど、男性の愛情は深いとされました。
 一夫多妻制だったこの時代、恋においては、基本的に受身の立場だった女性たちは、どれだけ歯がゆい思いをしたことでしょう。この歌の通り、男性がこの日の夜もやって来ればよいのですが、実際はどうだったのでしょうか。



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このコラムの担当者

和菓子班のホームページ委員長
定岡宏和

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

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