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【百人一首と和菓子】秋の宿
2010年08月26日

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<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>


お菓子について
秋の代名詞である紅葉を強調して作りました。
秋は時を忘れずに、めぐってきます。秋の楽しいイメージとはうらはらに、人一人も訪れない寂しさと、互いに重なり合って茂った雑草と、古く荒れて今にも崩れそうな屋敷の様子を、村雨生地をシート状にして、高く盛って家に見立て、表現しました。

豆辞典
47 恵慶法師(えぎょうほうし)
平安時代の歌人ですが、生まれた年も亡くなった年もはっきりせず、どこの生まれかも、経歴もはっきりと分からない人物です。播磨の国(兵庫県の西南部)の国分寺で講師(お説教をする僧)をしていたことはあるようですが......。男性でここまで経歴が分からない人は珍しいと思いますが、それでも、和歌だけはいくつも残っています。政治の世界で活躍していれば、生まれも経歴もはっきりと残りますが、さて、どっちがいいのでしょうね。

歌の方ですが、

何重にも雑草が生い茂るこのさびしい宿に、人はやってこないけれど、秋だけはやってきたなぁ。

というくらいの意味です。
ここでいう「宿」とは、河原左大臣と呼ばれた源融(みなもとのとおる)という人(14番の歌の作者)の邸宅のことです。京の都の六条の賀茂川沿いにあって河原院(かわらのいん)と呼ばれたこの邸は、通常の貴族の邸の4倍もあり、風流で贅を尽くした立派な邸宅として有名でした。通常の貴族の邸の敷地面積は1町(いっちょう)といって、ほぼ1ヘクタール(100m×100m)なので、河原院は4ヘクタールもあったことになります。
しかし、およそ100年の後、恵慶法師がこの和歌を詠んだころには、何度もの賀茂川の氾濫や、その他の事情から、河原院は手入れが行き届かなくなっていたようです。こんな邸に、荒れ果てたものや物寂しいものに美を求める歌人たちが集まり、和歌を作っていたといわれます。

<コラム担当者>
演歌の星、和菓子職人
金澤賢吾

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

<このコラムのレシピ>
秋の宿

<バックナンバー>
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