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連載コラム 和のおいしいことば玉手箱
日本には、昔から言い伝えられてきた「おばあちゃんの知恵袋」のような、食に関する言葉がたくさんあります。これらの言葉は、科学的にもきちんとした根拠があり、道理にかなっているということがほとんどです。ここでは、これらの食に関すること わざや格言などからおいしさを再発見してみます。
茗荷(みょうが)を食べると物忘れする
茗荷(みょうが)を食べると物忘れする 茗荷(みょうが)を食べると物忘れする
解説

「茗荷(みょうが)を食べると物忘れする」
お釈迦様の弟子である周利槃特(しゅりはんどく)は、物忘れをする名人で、自分の名前も覚えられない人であった。その槃特が亡くなり、墓から生えたのが茗荷であったから、茗荷を食べると物忘れをすると言う俗説が生まれた。
 夏の休日の朝たまには愛車も洗ってやろうと、洗車道具を担いで駐車場に向かう。洗車を終えてワックスをかけていると携帯電話が鳴り出し、家内から昼食の準備が出来たとの電話である。早々に愛車を磨き上げ家に戻り、冷たいシャワーで熱った身体を冷やして食卓に向かう。食卓には、家内が茹で上げ冷たく冷やした素麺と、お決まりの薬味である洗い葱とおろし生姜のほかに、私にだけ近隣の知り合いから頂戴したという茗荷を刻んで添えてくれている。
 この茗荷という野菜は、日本の代表的な香味野菜の一つで、ほのかな苦味としゃきしゃきした食感が、暑い時期には一服の清涼剤のように、さわやかな気分にさせてくれる。しかし、中学生の娘にはまだこの苦味のよさが理解できないようだ。大人の日本人にしか理解できない味覚の一つである。  茗荷はショウガ科の植物で、原産地は熱帯アジアとする説と日本とする説がある。しかし、インドや中国には野生種しかなく、野菜として栽培しているのは日本だけである。日本でのみ食されている、数少ない野菜なのだ。

 私たちがよく目にする赤い茗荷は、「花茗荷」や「茗荷子(みょうがこ)」と呼ばれる。これは花が咲く前の花穂(かすい)を収穫したもので、この花穂は、薄いりん片状の苞(ほう)が重なって出来ており、この苞の中に花がある。つまり、私たちが食べている茗荷は、つぼみの集まりなのだ。この花茗荷には、6〜7月に出回るやや小型の「夏茗荷」と8〜10月に出回るやや大型の「秋茗荷」がある。花茗荷は、薬味として使うほか、天ぷらや酢の物にしてもよい。  
 また、若い茎の部分を軟化栽培した細長い「茗荷竹(みょうがたけ)」もある。こちらは酢の物や汁の実に使われ、その形から「筆茗荷(ふでみょうが)」とも呼ばれている 。

 さて、茗荷といえば、たくさん食べると物忘れをする、と昔から言われてきた。この俗説の由来は、ある非常に物覚えの悪いお坊さんが亡くなり、その墓から茗荷が生えてきたためだと言われるが、本当のところは、少々趣の違う話である。  

 茗荷の名前の元になったお坊さんは、周利槃特(しゅりはんどく)と言う。周利槃特は、天竺(インド)の北部に生を受け、兄の摩河槃特(まかはんどく)と共にお釈迦様に弟子入りした。兄は賢く、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依したが、弟の周利槃特は物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられなかった。そのため、托鉢に出かけても、お釈迦様の弟子として認められず、乞食坊主扱いをされ、お布施を貰う事が出来ない。お釈迦様はこれを憐れみ、「周利槃特」と書いたのぼりをこしらえて「明日からこれを背負って托鉢に行きなさい。もし名前をたずねられたら、これでございますと、のぼりを指差しなさい。」と言われた。次の日から托鉢の時にのぼりを背負っていくと、人々はお釈迦様の書かれたのぼりをありがたがり、たいそうなお布施をいただく事ができるようになったそうである。  

 さて、兄は、物覚えの悪い弟に、何とかお釈迦様の教えを覚えさせようと手を尽くしてやるが、弟の方は、朝に覚えていたものを昼には忘れてしまう。周利槃特は、自分のおろかさに涙を流して途方にくれた。それを見ていたお釈迦様は「自分が愚かであると気づいている人は、知恵のある人です。自分の愚かさを気づかないのが、本当の愚か者です。」と言われ、ほうきを周利槃特に渡して「ごみを払おう、あかを除こう」と唱えて掃除をしなさいと教えた。

 その日から周利槃特は、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、毎日「ごみを払おう、ちりを除こう」と唱えながら掃除をし続けた。やがて「おろか者の周利槃特」と呼ぶ人はいなくなり、「ほうきの周利槃特」と呼ばれるようになった。そして何十年経ち、周利槃特は自分の心のごみやあかを全て除き、阿羅漢と呼ばれる聖者の位にまでなったのである。お釈迦様は、「悟りを開くということは決してたくさんのことを覚えることではない。わずかなことでも徹底すればよいのである。周利槃特は徹底して掃除をすることでついに悟りを開いたではないか。」と大衆の前でおっしゃった。  その後、周梨槃特が亡くなり、彼のお墓にあまり見たこともない草が生えてきた。彼が自分の名を背に荷(にな)ってずっと努力しつづけたことから、この草は「茗荷(みょうが)」と名づけられたということである。


このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ みょうがさらだ

タイ語の話せる日本料理のおとうちゃん
人物 小谷 良孝
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