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連載コラム 百人一首と和菓子
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。
春のお菓子摘草
君がため 春の野にいでて 若菜摘む むわが衣でに 雪は降りつつ 光考天皇
摘草
お菓子について
「若菜摘む」と言う言葉から、この歌は正月の歌だとわかります。旧暦のお正月は、現在の2月頃。まだ、寒ながら春を感じるころです。
七草は「七草の節句」の略であり、「人日(じんじつ)」とか「若菜の節」ともいわれます。中国では、前漢の時代、東方朔が記した占いの書に、正月1日に鶏、2日に狗、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、7 日に人、8日に穀を占ってその日が晴天ならば吉、雨天ならば凶の兆しであるとされています。

7日の人の日には邪気を祓うために、七草の入った粥を食べ、一年の無事を祈ったのだともいわれています。日本でもその歴史は古く、延暦23(804)年の「天皇神宮歴史帳」にその記録が残っています。

平安時代には春の七草は「若菜」とか「春の草」と呼ばれていました。当時七草粥は「七種粥」、つまり七種の穀物で作られたという説もあります。入っていたものは「米、粟、きび、ひえ、みの、胡麻、小豆」で、現在、七草として知られている「せり、なずな、ごきょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからのようです。

古来、宮中や神社でもこの日七種の野草を摘む行事を「若菜摘み」といい、これらが入った粥を食べると、邪気が払われ万病が除かれると信じられていました。

さて、お菓子の方ですが、私達に関係の深い「七草の節句」をイメージして作りました。

薯蕷生地には、若菜(みぶ菜)を使い、衣の袖に見立て焼き印で模様を付けました。きんとんのそぼろは、早春の草花に見立て、細かく裏ごした薯蕷練切を散らしています。この菓子全体で、初春の野原を表現しました。

豆辞典
15 光孝天皇
作者の光孝天皇(830〜887)は第58代天皇で、平安時代の人です。この歌は、親王(天皇になる前)時代に作られたものです。天皇の息子として生まれてはいても、出世とは縁がなく、不遇な人生でした。ところが、50歳半ばにして突如天皇になったのです。事情を話せば長くなるので省略しますが、人生なにがおこるか分かりません。
子どもは29人。天皇になられても、炊事を御手ずからされていたようです。御所の清涼殿にある「黒戸」は光孝天皇が炊事をされたときにすすがついたあとだと『徒然草』は記しています。平安時代の貴族社会では、女性でも台所仕事はしなかったようなのに、ずいぶん気さくというか庶民的というか親近感の持てる一面をお持ちなお人柄。今の世の中にこの天皇が生きていらしたら、「辻調理師専門学校ご見学」または「ご入学」になったかもしれませんね。

歌の意味は、
「あなたのために……」と思って春まだ浅い野原に出て若菜を摘んでいると、衣の袖に春の雪がしきりに降りかかることです。

「若菜摘み」は、邪気を払い無病息災を願うという春の行事で、その精神は現在、正月7日に「七草粥を食べる」という行事に引き継がれています。ただ、この歌が詠まれたころ、この「若菜摘み」の行事はまだ公のものではありませんでした。
「君がため」の「君(あなた)」を恋をしている相手と考えるか、作者よりも目上の人と考えるかで、歌のおもむきがずいぶん変ってきます。恋をしている相手(女性)とするとかなり切実な恋の歌になるでしょうし、目上の人ととると、相手を思いやる心の深さをうったえる内容となるでしょう。



このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ 摘草

和菓子職人
人物 定岡 宏和
辻調の御言持(みことも)ち
人物 重松 麻希
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