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連載コラム パンのきた道
発酵パンが最初につくられたのは、古代エジプトと言われます。その後古代ギリシャ・ローマを経てヨーロッパ各地に広まり、さまざまなパンが生まれました。
このコラムでは、家庭でおいしく焼ける世界のパンと、それにぴったりの料理を合わせて紹介します。焼き立てのパンのおいしさを、朝食に限らず一日のいろんな場面でもっと味わってみてください。
バースのサリー・ラン  〜ローマからイギリスへ〜
ローマ軍のカエサルはガリア(後のフランス、ベルギー、オランダなど)遠征中に、ガリアを後方から支援しているのがブリタニア(イングランド)らしいという情報を得て、海を越えてブリタニアに侵攻します。紀元前55年のことです。その後、ローマ軍はブリタニアのほぼ全域を支配し、各地にローマの足跡を残します。こうしてオーストリア、ドイツ、フランスなど他のヨーロッパの国々同様、ローマ文化に影響されることとなったのはブリタニアも例外ではありません。
ブリタニアはこの後4世紀ほど、ローマの属州となりますが、ローマ帝国解体後の5世紀には、ゲルマン民族の大移動でアングロ・サクソン人が侵入して、先住民族のケルト人はスコットランドやウェールズなどに追いやられます。さらに9世紀には北方系のヴァイキング、ノルマン人の一派のデーン人が侵攻して定住します。このようにブリテン島はめまぐるしく民族が入れ替わりながら次第に融合していきます。そして11世紀の中頃にはノルマンディー公ウィリアムによって征服され、フランスはもちろんのこと大陸の影響を大きく受けることとなります。


サリー・ラン17世紀、南イングランドのバースでサリー・ランSally Lunnという製菓職人が風味豊かなやわらかいティーケーキを作って評判になり、この土地の名物になったそうです。このバースの町はかつてローマ軍が温泉を掘って大浴場を建てたところで、18世紀には社交界の保養と交流の場所として華やかな時代を迎えています。当時、朝食にサリーランを食べるのが流行したとか。また、サリー・ランのやわらかさと風味の良さはちょうどブリオッシュのようで、一説にはフランスから伝わったのではないかとも言われています。フランス語の太陽と月を表すsoleile(ソレイユ)とlune(リュヌ)がサリー・ランの語源とも言われるゆえんです。
今回併せてご紹介する料理は、ほどよいカレー風味がアクセントの鶏もも肉のクリーム煮込みです。サリー・ランのほのかな甘味と柑橘系の香りともよく合います。横にスライスしてトーストし、中央部をくり抜いたサリー・ランに盛り付けて召し上がってみて下さい。


このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ サリー・ラン
レシピ 鶏もも肉のカレー風味煮

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