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連載コラム 怖くない、怖くないインターナショナルクッキング
和・洋・中と並び、世界には美味しい料理が数多くありますよね。「食べたことはあるけど作り方を知らない」とか、「作ったこともあるけど何か物足りない」ってことないですか?ちょっとしたスパイスを加えることで、料理の味付けはガラリと変わります。スパイシーな料理からちょっと珍しいデザートまで紹介しましょう。
石油王ロックフェラーとカキのグラタン!
   石油を語る上で忘れてならないのは、石油王と呼ばれたジョン・デイヴィソン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller)の存在でしょう。今回の料理の誕生の前に、少し彼の経歴について調べたことを記しておきましょう。

   ロックフェラーは1839年、ニューヨーク州のリッチフォードという小さな村で生まれて兄弟の多い家族の中で育ち、大変苦労をしていたそうです。そんな中、ロックフェラーは小さな頃から、毎週日曜日に教会へ行き、働くことの大切さと人を助けることの尊さを学んでいました。
    20歳になったロックフェラーは、友達と小さな会社をつくり、農作物を販売していましたが、そんな時、大変なニュースが飛び込んできたのです。1859年8月28日、エドウィン・ドレイクがペンシルバニア州タイタスビルの近く、オイル・クリークと呼ばれる地帯で、世界で初めて機械を使って石油を掘り出したというニュースでした。
   ロックフェラーは石油がとても貴重なものになることを感じ、すぐに石油会社を作ろうと考えるようになります。彼は、石油をより使いやすいものにする会社を目指して努力をし、1870年にスタンダード石油会社をつくって社長となり、石油を掘る仕事まで事業を拡大しました。ロックフェラーの会社はアメリカ最大の石油会社となり、31才になるころ、ロックフェラーは、アメリカで最もお金持ちで影響力のある重要な人物となっていました。
   さらにロックフェラーの会社は他の会社を買うことで、ますます大きくなり、彼は「石油王」と呼ばれるようになります。しかしロックフェラーの成功は、多くの人々の反感をかい、「他の会社のお金までとってしまう」と言われ、裁判になったりマスコミに取り上げられたりしました。
   その後、大きな反感を持っていた人々も、ロックフェラーのある行動によって、彼を許すようになっていきます。ロックフェラーは58才で会社を辞めてから、その後の人生のすべてを慈善事業につくしました。ロックフェラー財団というものをつくり、貧しい人々を助けることを目的にして、大学、病院、教育などへ、たくさんのお金を寄付したのです。 ロックフェラーが97才で亡くなったとき、新聞にはこう書かれていました。「ロックフェラー氏ほど莫大なお金を賢明に使った人がこれまでいたでしょうか!」と・・・。

Oysters Rockefeller
カキのグラタン、ロックフェラー風
Oysters Rockefeller
カキのグラタン、ロックフェラー風
   さて今回の料理ですが、これはルイジアナ州ニューオーリンズにあるアントワーヌズ・レストラン(Antoine’s Restaurant)で創作されたものです。フレンチ・クォーターと呼ばれる街中にある老舗レストランの一つで、フランスのミシュランの格付けで例えるならば三ツ星にあたるような味わいのある名店です。フランス料理をベースとし、ニューオーリンズ近郊で収穫される食材やスパイス、ハーブを巧みに組み合わせ、本場フランスに肩を並べるほどの料理の味や演出、それに室内の雰囲気、最高のサーヴィスを提供してくれます。1899年、一説によると、このレストランの常連客がこの料理を味わい、「何だ。これはロックフェラーと同じくらいにリッチじゃないか!」と叫んだことから、この料理名がつけられたとの事です。現在では数多くのルセットが紹介されていますが、ここではハーブとほうれん草でグリーンソースを作り、タバスコでアクセントをつけています。



このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ カキのグラタン、ロックフェラー風

スパイスの魔術師
人物 三木 敏彦
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