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『吉兆』 嵐山本店 総料理長 徳岡邦夫 Vol.1
2010年10月01日

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時代を走り続けるシェフたちが作りだすものは料理や菓子だけではありません。人をつくり、店をつくり、自分自身をつくり、何より、この世界そのものを創り出しています。
2010年度の「シェフズインタビュー」はジャンルを超えて料理、菓子の話はもちろん、一人の"創る人"として、シェフの素顔に迫ります。

インタビュアー:辻調グループ校 校長・理事長 辻芳樹

第1回目ゲスト 『吉兆』嵐山本店 総料理長 徳岡邦夫氏
【プロフィール】
1960年生まれ。『吉兆』の創業者・湯木貞一氏の孫。高校卒業後僧侶生活を経て大阪の湯木氏のもと高麗橋『吉兆』にて本格的に料理の修業を始める。その後、『吉兆』を離れる事を希望し、朝ごはん屋台などを企てるが断念。大阪『吉兆』 (1980〜1983)、東京『吉兆』 (1983〜1987)と修行を続け、湯木貞一氏から料理の核心を学ぶ。1995年から、京都嵐山『吉兆』の総料理長として現場を指揮する。

2004年 イタリア・スローフード協会主催、"食の祭典"「サローネ・デル・グスト」 に日本料理代表として招聘
2005年 スペインの"マドリッド・フュージョン"に招聘される。
2006年 イタリア・スローフード協会主催、"食の祭典"「サローネ・デル・グスト」 に日本人初 2大会連続招聘
2007年 料理本「嵐山吉兆  四季の食卓」(シリーズ)を出版  
     洞爺湖サミット  食の部門 日本料理担当

 
■どんな風に育ってきたのだろう?■

辻校長(以下 辻):よろしくお願いします。今日は辻調グループ校第51期生を前に徳岡さんをお招きいたしました。現在徳岡さんはシンガポールも含めて7店舗お店の運営に加えて、講演、授業、そして文化発信としての社会貢献やTV出演などほんとうにご多忙の中、今回の公開インタビューを快くお引き受けいただいたことにまずは御礼申し上げます。本日ここに集まった学生たちは日本料理を志す者たちだけではなく、西洋料理、製菓、そして中国料理を目指す人たちも集まっています。これから聞かせていただく徳岡さんのお話はどんなジャンルを志す人にせよ、「創る人」である限り必ず何か共感できることがあると思っています。
 徳岡さんとこのような形で学生たちの前で公開インタビューするようなことは初めてだと思います。お見受けする限りあまり緊張されていないように思えるのですが?

徳岡:そうですね。今は余り緊張していないですね。でも、緊張することもありますよ(笑)。皆さん、私の声は聞こえていますか?

                        学生:(はい)

辻:学校の場合、最高の評価者といえば学生たちですので、僕自身はひやひやしています。本当に伺いたいことはたっぷりあるのですが、時間が1時間半しかありませんので、まずは「徳岡邦夫」という人物像についてうかがいたいと思います。
 では、生い立ちから伺います。お生まれは何年ですか?

徳岡:1960年5月3日です。

辻:じゃあ今年で?

徳岡:50歳になりました。

辻:誕生日には何か特別なことをされるのですか?

徳岡:特別なことは何もしません。ただ友達が集まってくれて、気軽なパーティしたりとかです。今年の誕生日はシンガポールにいましたので、シンガポールにわざわざ来てくれた方もいらっしゃいましたし、シンガポールの店の隣の小さなレストランからケーキをいただいたりもしました。それとシンガポール店のスタッフの人たちがサプライズをしてくれましたよ。

 実はシンガポール店は前日の5月2日にオープンしたんです。で、初日が終わってホッとして、翌日からの課題をいっぱい抱えながら、スタッフの一人と飲んで部屋に帰ろうと思ったら電話がかかってきて「大変です。調理場で大喧嘩が始まったのですぐ店に戻ってきてくれ」というわけです。
 これは大変だ、ということですぐに店に戻ると今は喧嘩はおさまっているけれど、料理長と副料理長も含んだ3つのグループに分かれてもめていた、ということだったんです。とりあえず料理長を呼んできてくれと言うとそこにいたスタッフたちが皆厨房の中に入っていくわけです。
 そして、その途端に僕がいた客室が急に暗くなったので「あれ、どうしたんだろう?」って思っていたら突然S・ワンダーの曲が「Happy Birthday to you! Happy Birthday」てめちゃめちゃ大きな音量で鳴り出して、皆が笑顔で現れたわけです。ほんとに驚きましたよ。

辻:オープンの前日でしょ、それは驚きますよね(笑)。ところでお生まれは京都ですね。

徳岡:生まれは大阪です。

辻:あっ、そうなんですか。

徳岡:で、2歳で京都の嵐山に来て、それからは京都だったり、大阪だったり、岡山だったり、東京だったり転々と。

辻:幼少時代は?

徳岡:京都ですね。

辻:育ったのは料亭の中ですか?あるいはお店とは別の場所で?

徳岡:料亭の中ですね。お店の中に住まいがありました。調理場の上が住まいです。

辻:現在の調理場のあるところですか?

徳岡:そうです。

辻:そうなんですか。じゃあ、子どもの頃からずぅっと調理場を見ながら成長されたんですね。

徳岡:以前は住居部分がもっと広かったり、中庭があったりしました。今はお客様のための空間がメインになって住まいのための空間がどんどん狭くなってきています。

辻:実家がお店をされている方たちは別として、料亭の中で育つって少し想像しにくいと思うのです。それはどんな感じなんですか?

徳岡:どうなんでしょうね?自分ではよくわかりませんが、中学や高校時代にうちに遊びに来た友達たちにはインパクトがあったみたいで、いまだに当時の友達に会うと昔は屋根瓦の上"さざなみ"(シラスの佃煮を干したもの)があって、それをつまみ喰いしたね、とかの話が未だに出ますから、一般の家庭とはちがう感覚ではあったと思いますね。
 

辻:調理場からの漂う"香り"とか、運び込まれる食材の"色"とか、また、職人さんの背中を見て育ってこられた、要は五感をくすぐるような環境で育ってこられたとという風に想像してしまうのですが・・・ 

徳岡:もちろん僕が目にしていた調理場は一般家庭の調理場ではないので、知らない間に気づかないうちにそういうことはあったでしょうね。それに子どもの頃は従業員さんたちの寮へ行ってよく遊んでいました。

辻:お父様は別にお店の従業員たちと徳岡さんを分けようとかはされなかった?

徳岡:もちろん住まいは別ですよ。ただ、嵐山という場所が京都の西の端の田舎であんまり同世代の子どもがいなかったので、調理場の若い人たちや年上の方たちと一緒に山の中に行ったりとか、川で遊んだりしていました。

辻:じゃあ料理における"帝王学"とか、子どもの頃から調理場でいろいろ味見させてもらったとか、お客様に出す料理を目にしているとかいう環境ではなかったのですか?

徳岡:ま、料理はしっかりと目にしていたと思います。調理場でも遊んでいましたし、お祖父さん、湯木貞一が京都の店の方にも来るんですが、そのときには「一緒に食事しなさい」とか言われていましたね。
 確か僕が幼稚園ぐらいのときかな・・湯木貞一がやって来て、食事をしているところに呼ばれて「寿司を握れ」と言われたことがあります。

辻:幼稚園児の徳岡さんご自身に「寿司を握ってくれ」と?

徳岡:もちろん僕が酢飯を炊いて、ネタを用意して、というのじゃないですよ。すべてそういったセットを準備してもらって、ただおにぎりを作るような感じでそれを握らされたりしました。

辻:幼い頃から器用だったんですか?

徳岡:ま、器用なほうだったと思いますね。いわゆる工作、図工は成績がよかったですから。

辻:なるほど。しっかりと成功された料理人の方が「自分の料理の原点は"お袋の味"だってよく言われるのですが、徳岡さんには"お袋の味"ってありました?

徳岡:うちの母は料理しなかったので(笑)。家政婦の方が作ってくれたピーマンと肉の炒め物とか、ですかね(笑)
 あっ、でもひとつ思い出したことがあります。小学校入学に際して親子面談のようなことがあって、そこで「食べ物は何が好き?」って尋ねられたときに僕は"鯖の血合い"って答えたんですって。もちろん母はカンカンになって、「料理屋の息子なのに鯛の造りとかなんで言わないの」って叱られたというのを聞いたことがあります(笑)。
 決して高級な食材ばかり食べていたのではないですね。むしろそういったものは余り好きでなかったのかも知れません。

辻:僕も子どもの頃「何が好き」て訊かれて「フォアグラ」って答えてすごく嫌な顔をされたことがありますよ(笑)

「『吉兆』嵐山本店 総料理長 徳岡邦夫」次回の更新は10月8日(金)を予定しています。

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