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食のコラム&レシピ

【とっておきのヨーロッパだより】リヴィエラ海岸 粉モノ横断紀行―似た味、違う味―

12<海外>とっておきのヨーロッパだより

2010.05.27

 <【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム?>

 EU圏構想が浸透し、かつてあった国の間の敷居がかなり低くなって以来"趣味"になったことの一つに「陸路での国境越え」があります。それまで普通に使っていた言葉が数歩歩くだけで通じなくなったり、看板の文字が読めなくなったりするという異文化体験にはスリリングな楽しさがあり、近頃ではわざわざ国境にかかるような旅程を組んで旅するほどです。
 例えばフランス校のあるリヨン辺りから車で出かけると、北へ向かえばドイツやベルギー、西へ行けばスペイン、東へ行けばイタリアとの国境地帯。普通の道路にこれから入る国の国旗が表示された国境を越える瞬間も楽しいですが、国境近辺の、両国間の文化が混在したような空気を感じながらの旅もまた格別の趣があります。(もちろん、国情が平安であるからこその楽しみではありますが・・・)
 この春はリヨンから南下し、プロヴァンスからコート・ダジュールへ出てそのまま東へ東へと行く旅の中、この地域に共通している食べ物の一つ、フォカッチャを追ってみました。

 "FOCACCIA(フォカッチャ)"というとまず、表面にポツポツとくぼみがあり、粗塩とローズマリーの葉が散らしてあるオリーブオイル風味のパンのようなものを連想する人が多いかもしれません。
 私もその一人ではあるのですが、それでもイタリアに住んでいた頃、その一般的なフォカッチャのイメージでない食べ物も同じ名前で呼んでいるのが気になっていました。
 例えばピッツァのようにたくさん具を載せて焼いた惣菜パン風のもの、レストランでアミューズに出されるラルド(豚脂身の塩漬け)を載せたパリパリの薄焼きパン、またパン生地を油で揚げたものなどなど...味も形も全然違うのですが、すべてそれぞれの場所で"フォカッチャ"の名で通っていました。
 調べてみたところ"フォカッチャ"はラテン語"FOCUS(竃、または中心という意味)"を語源とし、『竈の中で焼いたもの』という意味があるそうです。
 小麦を加工し、発酵させて焼いて食べる"パン"は紀元前6000年、エジプト王朝の頃から存在していましたが、フォカッチャはそのパン生地にさらに油分を加え、平たく焼き上げるものとして広まったようです。
古代ローマ帝国の勢力図に沿って伝播し、今でも広い地域に色々な形で独自の"フォカッチャ"が残っているとか。
 なるほどそれで、イタリアにいた頃"フォカッチャ"と称されるものの種類が多いように思われたことが分かりました。
 またフランスにいますと"FOUGASSE(フガス)"という名のパンが南仏に多いことに気づきますが、これもかつてはこのあたり一帯に勢力のあったローマ帝国からの伝播のよう。現在定められている国境を越えた共通項を持つ粉食文化の広がりに興味がわき、古代ローマの旧勢力圏であるリヴィエラ海岸を西から東へ移動し、地域ごとのフォカッチャのヴァリエーションを調べてみました。

"エクサン=プロヴァンスAIX-EN-PROVENCE"
 リヨンから南へ下ること約300km。旧プロヴァンス伯領の首都として今も栄えるこの町にはフガスを店頭に並べているブーランジュリー(パン屋)がたくさん。 フガスには生地に葉っぱ状の切込みを入れただけのプレーンなものから、刻んだオリーブを生地に練りこんだもの、またトマトやチーズ、ハム、オリーブ、ツナなどの具を詰めた軽食タイプ、フルーツやクリームを入れた菓子パンタイプもあります。
 いくつか買って試食してみましたが、ボリュームがありとても美味しいものでした。


オリーブの実がたっぷり詰まっています


こちらはラルドン(ベーコン) とチーズ入り


リンゴの入った甘いフガスも

 またエクサン=プロヴァンスでは、クリスマスにオレンジ・フラワー・ウォーターやアニスなどで香りをつけた甘味のあるフガスの一種"ポンプ・ア・ルュイル(またはジバシエともいう)"の他、フリュイ・コンフィ(各種フルーツの砂糖漬け) 、カリソン(アーモンドパウダーやメロンのコンフィで作る砂糖菓子)、ヌガーなどの南仏銘菓、またドライフルーツやナッツなどを13種取りそろえるのが習慣だそうです。※1ポンプ・ア・リュイルの形も地方によってさまざまで、フランスでよく見られる木の葉に切れ目を入れたものもあれば、丸くふっくらしたタイプ、堅焼きタイプのものなどあるようです。 


ジバシエ。オリーブオイルがたっぷりでさくっとした食感

"ニースNICE"
 コート・ダジュールの代表的な町ニースは、ブーランジュリーにフガスが置いてあるだけでなく、フガス専門店FOUGASSERIE(フガスリー)"があるほどフガスが浸透していました。フガスのヴァリエーションもさらに多く、一般の食生活への浸透ぶりがうかがえました。また食事や軽食用以外に、粒砂糖をふるなど甘味をつけたフガスが置いてあるのも見られました。※2


フガスリーのウインドウ。定番、オリーブ入りとローズマリー風味のフガス


全長40センチほどもある大きなフガス


アーティチョークが豪快にどっさり


オレンジの香りがほんのり

さて、リヴィエラ海岸をどんどんイタリア方面、東へ向かっていきます。

"モナコMONACO"
 フランスの中にある小さな国モナコ。車の中から道に何か国境の印はないかと見ていましたが、気がつかないうちにモナコに入ってしまっていたほどで、フランスの一つの町に入る感覚です。このモナコには独特の"フガス・モネガスク(モナコ風フガス)"があり、これまで見てきたフガスとはかなり違い丸く平たい形。ドライフルーツやアーモンドが生地に入っており上からは紅白の砂糖粒(アニスシードに糖衣をかけたもの)が散らしてあるなど、完全にお菓子でした。お店の人に聞いてみたところやはり食事でなく、午後のおやつとしてコーヒーやお茶と共に食べたり、お茶菓子として友人の家へ行く際に気軽に購入したりするとのことでした。


モナコ風(左)、マントン風(右)

"マントンMENTON" 
 イタリアとの国境からわずかの場所に位置するマントンにも、モナコ風と非常によく似た"フガス・マントネーズ(マントン風フガス)"がありました。モナコ風より生地は厚く、油分の少ないフルーツケーキといった感じです。※3

気がつくとイタリアとの国境に来ていました。モナコに入った時よりははっきり分かる看板がありますが、それ以外は検問所などもないごく普通の道路。実にあっさりしたものです。


"ここよりイタリア"の看板。国によって少しずつ異なる車の制限速度や、
警察・消防署の番号案内などが表示されています

 イタリアからはパン屋もブーランジュリーでなくPANETTERIA(パネッテリーア)またはPANIFICIO(パニフィーチォ)、フガスもFOCACCIA(フォカッチャ) と名を変えますが、海岸線に沿って移動していると、目に付く文字以外はそれほど雰囲気が変わるわけでもなく、それまた不思議な感覚です。
 ちなみに、リグーリア方言ではフォカッチャはFUGASSÂ(フガッサ)。国境辺りでは言葉もフランスとイタリアが溶け込んでいるようです。

"ジェノヴァGENOVA"
 イタリア・リグーリア州の州都ジェノヴァは、イタリアン・リヴィエラと呼ばれる海岸線地域の中心地の一つ。文頭でとりあげたローズマリー風味のフォカッチャはこの町の有名なフォカッチャの一つで、ジェノヴァの港から移民していったイタリア人たちによって今では世界的に広まっていますが、それ以外のフォカッチャもいくつもあります。
オリーブオイルと塩だけのシンプルなものから、様々な具を載せたり包んだりしたフォカッチャは、専門店があちこちにあるほどの庶民的なスナックです。
具はとてもシンプルで、ハーブだけ、オリーブの実だけ、玉ネギスライスだけ、といったものが多いのですが物足りなさは全く感じず、生地のおいしさを楽しむことができます。
包み紙ににじむほどたっぷりオリーブオイルが使われているのですが、全くもたれません。質の高いオリーブオイルは、素晴らしい調味料であることを実感します。※4


オリーブオイルと粗塩風味のもの、玉ネギスライスだけがのったもの...
店員さんに頼み、好きな量を切ってもらう。


パリパリに焼いたタイプ。オリーブオイルが香ばしい

"レッコRECCO"
 ジェノヴァから東へ20kmほど行ったところにあるこの町周辺では、薄く延ばした生地の間にストラッキーノというフレッシュチーズを挟んで焼き上げるフォカッチャが昔からよく食べられています。第二次大戦中、爆撃によって壊滅的な打撃を受けた地域の活性化も兼ねて、FOCACCIA COL FORMAGGIO DI RECCO(フォカッチャ・コル・フォルマッジョ・ディ・レッコ=レッコのチーズ入りフォカッチャ)を1960年代ごろから特にアピールするようになり、今では町のシンボルに。ストラッキーノという癖のないチーズの入った味は万人に好まれる味で、パン屋はもちろん前菜にできたてのフォカッチャを出すレストランもたくさんあり、わざわざ遠方から食べに来るお客を喜ばせています。


フォカッチャ・ディ・レッコ
 

「このくらい...」と頼んだ分、切り取ってもらい購入します


ストラッキーノは、熱すると伸びるクリーミーなチーズ
 
 フガスからフォカッチャを巡るだけでも一つの共通した食文化を感じられますが、この一帯には、他にも共通している粉モノのスナックが多くあります。
例えばヒヨコマメの粉に水・オリーブオイル・塩を加えた生地を、大きくて丸い金属の焼き型に薄く流して焼き上げるスナック。これはフランス側ではSOCCA(ソッカ)と呼ばれニースには専門店もありますが、これはイタリアへ行くとFARINATA(ファリナータ)と呼び名が変わります。両者を食べ比べてみましたが、フランスのソッカがねっとりと柔らかな部分を残して焼き上げるのに比べ、イタリアのファリナータは生地にしっかりと火通しがしてあり、弾力のある歯ごたえがあります。いずれもそれぞれの国でより好まれる食感なのでしょう。例えばパスタのゆで加減にしてもイタリア人が常識とする"アル・デンテ"がフランスではそれほど重要視されないといいますが、このソッカとファリナータにも両国の食感に対する嗜好があらわれている気がします。


ソッカ:生地がやわらかいうちに鉄板からはがします


ソッカ:食感は柔らか


ファリナータ:しっかり火通しした生地はヘラできれいに切れます


ファリナータ:外側はカリっと、中はしっとり
 
また南仏でフガスの隣に必ずといってよいほど売られているPISSALADIERE(ピサラディエール)、パン生地を薄く延ばした上に炒めた玉ネギ、アンチョビ、オリーブで味をつけたピッツァのようなスナックですが、これもイタリアのリグーリア州では、若干形は変わるもののPiscialandrea(ピシャランドレア)と名前を変えて、親しまれています。

このように、例を挙げればきりがないほどよく似た食文化を持つリヴィエラ海岸地帯ですが、国境をまたいでいるとはいえ「ニース-レッコ」間は距離にして200km強といったところ。その近さを考えると、共通の食文化が根付いているのも当然といえるかもしれません。
複雑に絡み合った伝播の歴史がそのまま今に根付いている様子は、実際に異なる地域の共通する食べ物を味わってみることによって一層体感できます。ある食べ物が伝わっていくうちに何がどう変わるのか、何が変わらないのかを場所を移動しながら見ていくと、人による文化の伝播は国境では区切れないものだということも分かってきます。
ものが粉モノだけに、満腹との戦い(?)も少々ありましたが、美味しくて楽しい発見がたくさんあった旅でした。
この次はフランスのニースより西、またイタリアのレッコより東へも足を伸ばし、食文化の伝播の様子をさらにたどってみたいと思います。

※1南仏のフリュイ・コンフィやクリスマス菓子に関しては「フリュイ・コンフィ、プロヴァンスの太陽の味に出会った!」を参照ください。
※2内陸に伝わったものはオリーブ油の代わりにバターを使うブリオッシュ生地で作られてフワス fouaceになったようです。
※3海岸続きのジェノヴァにもとてもよく似たFocaccia dolce genovese(ジェノヴァ風甘いフォカッチャ)というものがあり、やはり乾しブドウなどを生地に混ぜ込んで甘く作るとのこと。
  またマントンに関しては「町全体がさわやかな香りに包まれる!マントンのレモン祭り」を参照ください。
※4リグーリア州のオリーブオイルについては「もっと×2身近な存在!イタリアオリーブオイル紀行」を参照ください。

<コラムの担当者>

合田 達子

<バックナンバー(2003年8月~2009年8月)>